1.はじめに
現在劇場で公開中の「トラペジウム」というアニメ映画をご存知でしょうか。
元・乃木坂46一期生の高山一実が執筆した小説をアニメ化した作品で、アイドルになりたい主人公・東ゆうが町の美少女を集めてアイドルグループを作ろうと画策する話です。
公開直後は乃木坂のファンを中心に話題になっていたようですが、先週あたりからアニメオタクの間で賛否両論分かれる問題作として批評記事がバズっており、タイトルやあらすじ、東ゆうの名前くらいは耳にした方も多いと思います。
私はこの批評記事への反応でこの映画を知ったのですが、とにかく一度見てみないことには作品に対する態度も決められないと感じ、まずは事前情報を入れずに鑑賞することにしました。
先に結論から申し上げますと、この作品は最低2回は見ないと重要な情報を見落とす作りになっていました。
ここでお願いなのですが、まだ見てないよという方は今からでも遅くないので映画館で見てほしいです。今週になって公式YouTubeがかなり多くの切り抜きを上げており、この作品の動員が予想より芳しくないのは明々白々です。*1上映数も公開一週間で激減していますし、私が見たときは(平日とはいえ)2度とも他に観客がいませんでした。この作品は物語における挿入歌の重要性が高く、映画館とYouTubeでは音響効果が全然違います。トラペジウムという映画が大爆死タイトルとしてではなく挑戦的なアニメとして記憶されるためにも、ぜひ一度映画館に足を運んでください。
※以降ネタバレを含むので、作品を見てから読むことをおすすめします。
2.鑑賞(1回目)
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さて、映画はいきなり電車に乗る東ゆうからスタートします。何やら計画の書かれたノートに夢中で電車から降りるのがギリギリに。
そのままOPに入ります。3Dに切り替わる映像も星街すいせいの歌も唐突すぎて、なんだか浮いている印象を受けました。
聖南テネリタス女学院にやってきたゆうは、幸運にも恵まれ南の星・華鳥蘭子と出会います。蘭子と「友達」になったゆうは続いて西テクノ工業高専に向かい、目をつけていた西の星・大河くるみに接近。彼女の趣味に寄り添うことで好感度を稼ぎ、ついでに蘭子とも交流を深めました。なんだかずいぶん話がうまく進んでいますね。
残すは北の星だけでしたが、ここでゆうたちに声をかけてきたのが亀井美嘉。美嘉が城州北高に通っていたのでゆうは彼女をグループに加え、ゆうのアイドルグループ「東西南北(仮)」計画は無事始動します。
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ゆうはデビュー後の好感度アップのため、ボランティア活動をすることを計画していました。ちょうどよく美嘉がボランティア団体に所属していたので、ゆうたち4人で参加することに。事情により4人同じグループとはいかず、狙いが外れたゆうは不機嫌になってしまいます。味噌汁も捨てます。続いてくるみの文化祭でライブを見せ、ステージへの憧れを搔き立てることを画策しますが、これもボランティア活動で出会った子の訪問により計画倒れ。ゆうはライブのチラシをゴミ箱に捨てます。捨ててばっかりじゃん。しかし、代わりにみんなで写真を撮ることで、4人の絆を深めることはできました。
続いてゆうが計画したのは城でのボランティア。今度は好感度アップではなく、テレビに写って話題になるチャンスを得るためでした。これも計画通りとはいきませんでしたが、東西南北のコンセプトを面白がったADによって4人はテレビの世界に足を踏み入れ、やがてアイドルへの道を歩み始めます。ちなみに、テレビ取材後ボランティアはバックレています。
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ここまでが物語の絶頂期。ゆうは自分だけ人気がない現実に打ちのめされ、美嘉が彼氏バレし、くるみは芸能界に耐え切れずに壊れてしまい、東西南北は崩壊しました。*2
全てを失ったゆうは家に引きこもっていましたが、ある日城でボランティアのおじいさんに再会し、その言葉に背中を押されて美嘉に会いに行き、「過去の自分」を教えてもらいます。そして、ラジオで東西南北の曲が流れたことをきっかけに4人は再会し、3人に背中を押されてゆうは再び自分の夢「アイドル」へと歩き始めるのでした。
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さて、ここまで見て私は批評記事の大きな間違いに気づきました。
東ゆうはクズでもサイコパスでもありませんし、アイドルの闇が描かれてるわけでもありません。
彼女の行動力は確かに常軌を逸していますが、その他の落ち度、例えば他人を踏み台にしてのし上がろうとする考え方とか、ずさんな計画を押し通していく視野の狭さとか、足りないものは努力すべきだという「正しさ」とか、そういうのは全て高校生特有の青さで全部説明ができるのです。
本当に悪い奴やサイコパスなら、ユニットを崩壊させた後に泣いたりしません。ただ次の計画を練り直すだけです。
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本当に嫌な奴なら、そもそも一人で泣かないのです。だって、泣きは人前で有効活用してなんぼですからね。*3
ところで、この話は終始ゆうの一人称視点で語られています。なので、「順風満帆に計画が進んでいって夢に手が届きそうだったのに、予期せぬトラブルでグループは崩壊し、私の夢は潰えてしまった」みたいな見え方をします。そのため、終盤にもたらされる美嘉、蘭子、くるみからの赦しは非常に唐突に見えますし、また実際にアイドルやってた時には人気が伸びなかったのに、エンディングでゆうが夢をかなえている点についても不自然さが否めないと感じました。忙しい批評家は一つの作品にそんな時間を割いて見られませんから、こういう見え方をする作品に高評価はできません。よく言えば「尺が足りない」、悪く言えば「シナリオが雑」という印象を、私も確かに受けました。
しかし、いくら一人称視点といっても些か視野狭窄が過ぎる演出であり、他のキャラがチラチラと別の動きをしている様子も映り込むことから、意図的にそうしている可能性は当然考えられます。ここで補助線として機能するのがOP映像でした。
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まず、主題歌を歌う星街すいせいのバックグラウンド。彼女は個人でVtuberを始め、のちにイノナカミュージック→ホロライブに加入しています。加入前から自分のオリジナル曲を持っていましたが、事務所に所属後も紆余曲折あって伸び悩み新曲も出ず、イノナカ統合に伴ってホロライブのVtuberと絡み始めてから箱ごと数字が伸び、事務所のパワーでTaku Inoueと組んだのがバズって今に至っています。東ゆうと境遇が似ていなくもない。そういうストーリー性もあっての主題歌起用でしょう。
次に映像です。物語の始まる前、東ゆうがオーディションに落ち続けていた頃を描いています。説明がないので初見では理解しきるのが難しいポイントです。憧れも情熱も持っているのに、現実は答えてくれない。つまり、物語で一見よくわからないコンセプトのもと異常な行動力を発揮していたゆうは、既に夢を諦める瀬戸際まで追い詰められていたということがこの映像からわかるのです。
OPにこれだけの仕込みがあるということは、本編にも当然仕掛けがあるはず。そう考えた私は2度目の鑑賞を決めました。
3.鑑賞(2回目)
余談ですが、私はトラペジウムをイオンシネマ京都桂川で鑑賞しました。イオンシネマの優待を持っているための選択ですが、この映画館はどういうわけか朝一番のULTIRAスクリーン*4をトラペジウムに割り当てていて、関西唯一の大画面でテネリタスキックや高音質の舌打ちを堪能することができました。更に余談ですが、イオンシネマ白山では北陸唯一のグランシアター*5をトラペジウムに割り当てているらしいです。シネマ側の熱意に反してスクリーンはガラッガラですが。
話を戻します。2回目なので今回は東ゆうからあえて外したところを意識的に見るようにしました。全景からゆうのアップor視点に切り替わる直前などにチラッと映る他のキャラクターの動きに注目すると、西南北の3人がギリギリまでゆうに従い、耐えられなくなっても彼女を許した理由がなんとなく見えてきました。
まずは蘭子。元々ゆうはテネリタスにお目当てがおらず、来てから考えるといった見切り発車で動いていました。蘭子とすれ違って「純金インゴット!」と飛びつきますが、テニスで大敗し計画はうまくいかず。しかし、テニス部で肩身の狭い思いをしていた蘭子に見たままお蝶夫人と声を掛けたゆうは、結果的に蘭子にとって大きな救いになりました。だからこそ蘭子はゆうの申し出を受け、その後もメンバーのケアに奔走してゆうの夢を叶える手伝いをしようとしたのです。出だしの計画から実はすでに行き当たりばったりであることに気づかないゆうは、一方でそのまっすぐさのおかげで蘭子というかけがえのない協力者を無意識に得ました。
次にくるみ。ゆうは元々有名だったくるみに目をつけ、当初から彼女を利用して話題になることを画策していました。しかし、実はくるみは有名人であったがゆえに注目されたくないという思いが強かった。ゆうに一目ぼれした真司を利用してくるみに近づいたゆうは、付け焼刃のロボット知識でうまく仲良くなれたと思っていたようですが、ゆうが目的はどうあれくるみに真摯に向き合ってくれたこと、それ自体くるみにとっては初めての経験であったようでした。*6初めて出来た女友達のために無理してでも夢に付き合ってあげようとした結果くるみは壊れてしまいましたが、それでもゆうを許せたのは、彼女がくるみに初めての友達とのひと時をくれたからなのでしょう。意地悪な読み方をすればくるみが真司のこと好きでゆうのため≒真司のためになると思ってた可能性もなくはないけど。エピローグでもゆう連れて真司にアピってたのくるみだし。
最後に美嘉。彼女がゆうを許した理由は最初から明白でした。小学校時代に美嘉はゆうに救われているので、むしろ許さないはずがない。おそらく登山ボランティアの時点で不自然な言動をしていたゆうの意図するところはある程度わかっていたでしょう。その上で美嘉のヒーローであるゆうの夢を「友達として」ともに叶えたかったのです。だから彼氏バレ後にゆうが放った「友達にならなきゃよかった」はクリティカルで、美嘉は笑顔を失ってしまいます。
ちなみに美嘉の彼氏匂わせはアイドル計画始動の前からあり、文化祭の時にはツーショットのキーホルダーを鞄につけ、ラインのアイコンもツーショット、アイドル活動が始まってからは楽屋や帰りの電車で通話する様子が挟まれ傍目にバレバレでした。ゆうが例のシーンまで気づけなかったのは、それらのシーンで全てゆうがイヤホンをして窓の外を眺めていたから。夢しか見ていなかったゆうの視野の狭さがもたらした破滅の発端なのでした。
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もう一つ重要なのはこのシーンです。確かにわかりやすく壊れたのはくるみですが、映像見ればわかる通りゆうも壊れかけています。一人称視点だからくるみのせいであきらめざるをえなかったように受け止めがなされていますが、ゆう自身がもう限界だったのです。アイドルに抱いていた理想と現実の乖離を身に染みて感じていても、憧れた心がそれを許さず、こうして噴き出してしまった。ここで挫折することは、いわば予定調和であったようにも見えます。
この挫折を通して、世間がアイドルに求めているものは何か、という知識と、夢をどうしても諦められない、という気持ちの両面から答えを得ることができたからこそ、エピローグでゆうはアイドルになる夢を叶えることができた。こう読むとなるほど最後に上手くいった理由も納得できるように思います。
こうして各々が学びを得ることができ、エピローグでみんなが夢をかなえて再会することができた。過程はどうあれハッピーエンドに文句はありません。加害者と被害者の構造ではなく、いわば共犯関係で成り立った東西南北のアイドル活動。この作品を冒険ものの文脈で説明した考察オタクの文章も読みましたが、それに近い意見を持ちました。乱暴な言い方ですが、綺麗なスタンドバイミーといってもいいかもしれません。
一方で、これらの演出の妙は人を選ぶと思います。もちろんこの作品についても一度見ただけで全部看破できたという人もいるでしょうが、そういう人はこの手の演出に慣れている人であって、原作がアイドルでメジャーな箱で上映してというプロモーションをかける作品が想定する観客は一見しただけでは多くを見落とし、東ゆうの乱暴な言動ばかり記憶に残って「やばい女のアニメ」「アイドルの闇」みたいになってしまうでしょう。ですから、この映画は2回見る必要があるのです。1回目で見落としたものをOPから拾いなおすために。そして、ストーリーの展開に注目しないでいいからこそ新しく見つけられるキャラクターの魅力を感じるために。
4.さいごに
このタイパ全盛期に「2回見ないとわからない映画」を作る勇気。脚本の柿原さん、原作・監修の高山さんはじめスタッフの丁寧な仕事が光ります。是非とも映画館でもう一度見に行きましょう。
なお、原作を補助線に使うのはおすすめしません。高山さんが「小説と映画は別物」と言っていますし、アニメで追加された要素・削除された要素が割と物語の根幹に関わっているためです。映画は映画として楽しみましょう。